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2016年4月13日水曜日

オカルトが苦手な方に知って欲しい、私の見解






少し前に、なぜ人がオカルトを欲するのかを
記事にしました。
その中でも書きましたが、
欲するどころか恐怖を通り越し
脅威であるという方がいることを
紹介しました。
そういった場合、恐怖症またはトラウマとなり
潜在的な拒否反応を起こしているのかもしれません。
そんな方を考慮して、今回は
私の知識から導いた脱オカルト論
みなさんに安心していただけたらと思います。


オカルトは、追求すればするほど
怖さ半減

私は昔から、科学に反した物事が好きすぎて
気が付けば、かなり深く知ることとなりました。
そして、深く知りすぎたため
『結局のところ、そういった分野を
人が欲しているだけなんだ』
という結論となり
みなさんのようにオカルトを純粋に
怖がれなくなってしまいました。

よくホラー番組で、オカルト研究家という肩書きで
出演されている方がいますね。
役割を果たす必要がありますから、
恐怖を煽る情報を披露しています。
観ていて、
『ここまで詳しく調べ尽くしている人なら
話していて虚しいんだろうな』
なんて思っちゃいます。


世界の歴史から紐解いてみる

架空の存在、神様や悪魔や怪物
とても興味をそそります。
そんな中で、オカルトの存在が
いかに曖昧かがわかる例を1つあげます。

エジプトに、スフィンクスという神様がいます。
王と神を守るという、なんとも頼もしい存在です。
またギリシア神話にも、
スフィンクスという怪物が存在します。
もしかしたら、聞いた事があるかもしれません。
『朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足、これは何か』
という質問をしては
答えられない人間を食べていたそうです。

この両者ですが、実はまったく同じ存在だそうです。
なぜ、怪物になってしまったのか。
それを知ると、オカルトの存在が昔から
どれほど曖昧だったのかがわかります。
実は、この怪物ですが
異教徒は排除
というキリスト教の考え方より
エジプトで信じられていた神様を
あえて悪魔として登場させたというのが通説です。
人間のエゴにより、善にも悪にもなり得るんですね。


日本のオカルト事情

まず避けて通れない妖怪の存在ですが
これは完全に、
日本人のユニークな発想により生み出されたものです。
『袖を引かれた、気がした』
『なんだか、堀の近くで呼ばれた気がした』
昔はロウソク一本で夜道を歩いていました、
そのなんとも言えない気持ち悪さを
妖怪という存在に例えたんです。
今も擬人化なんて言葉があるように
恐怖をユーモアに置き換えた存在だったんです。

それとは別に存在していたのが幽霊。
なぜ幽霊に足がないのか、知っていますか?
魂だから、浮遊している…
いえいえ、全然とんでもない。
なにせ元々は全身描くのが主流だったんです。
そうなると、白装束の女性が世に溢れてしまい
だんだんと慣れてしまい
『もう飽きた』と世間の反応が薄くなったそうです。
描き手はよりインパクトを出すため試行錯誤し
やっと行き着いたのが、
足が無くて透けてる
というお馴染みの姿だったんです。

そういった文化は、
のホラー界でも当てはまります。
写真という、真実に近い媒体を使うことで
いっそう恐怖心を煽ることに成功しました。
しかし、その後に
『動画に何か映ってる…』と
一本のビデオが流れ、新しい恐怖に目覚めます。
一気に画像から動画へ方向性が変わりました。

私からすると、これは大失敗としか言えません。
真実に近くなる程、
作る際は気を使う必要があるからです。
少しでも雑になると、作り物のボロが出ます。
そう考えると
よっぽど、幽霊絵巻のほうが怖いと思いますね…
曖昧な存在は、現実味を帯びた瞬間
疑いの目が向けられてしまいます。
今では、会談話の方が面白いと感じるほどです。


まとめ

なんだか、オカルト批判になってしまいましたが
実際のところ
冷静に歴史から紐解いていくと
現代の形に至った経緯もわかり、
エンターテイメントの一環として楽しめるほどです。
もちろん、ここには書ききれない
面白いエピソードは
過去から現代までまだまだ山のようにあります。
人はそういった存在によって、生を強く感じます。
死後の世界を想像する事は、大切な防衛本能です。
事実をきちんと把握し、
必要以上に怯えないように注意してくださいね。
あくまでも、ホラーはエンターテイメント
もしくは、
人間の本能として欲してしまう存在なのです。
だって、教会に白装束の幽霊が出たら
ルックス的に、コメディになってしまいます。
『なぜ人間だけが幽霊に?』
『ニワトリの無精卵には魂があるの?』
『たらこを食べたら、とんでもない量の霊に
呪われるんじゃない?』
けっこうツッコミどころ満載ですが、
そこに触れないのも信じていたいという
人間の心理なのです。

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