詩や芸術品に使われる事があるので
聞いたことはあるかもしれません。
古代ローマが起源とされる言葉で、
いまに至るまで
解釈に変化が多かった言葉でもあります。
というのも、精神論を一言にまとめたような言葉で
とっても奥が深いからです。
メメント・モリの歴史
起源とされる時代では、
『いつ死が訪れるかはわからない』という
戒め的な意味合いが強かったようです。
その後、時代を経て
『生きているうちに楽しもう!』
『死は平等に訪れる』
など、意味を深めていったようですね。
この言葉が生まれた背景には、
この言葉が生まれた背景には、
いつも命を狙われている
王の存在が大きいとされています。
王が失脚することになれば、王はもちろん
関係者はみな命の危険にさらされます。
『死を覚悟していなければいけない』
そういった意味合いが強かったようです。
時代が進みキリスト教が普及しだすと
天国や地獄といった死後の世界の概念が強まり
『いつかは死ぬのなら、いま生きることを楽しもう』
そういった、今は飲むとき踊るときという考え方に
シフトされていきます。
メメント・モリと共に
科学が飛躍的に発達し、人は必要以上に
死を恐れるようになってしまったと思っています。
よく、生の対義語として死が挙げられますが
死は生の先に存在する存在ですよね。
このふたつは、対になっている訳ではなく
元々セットで存在しています。
生を受けなければ、死は起こらないのです。
この言葉は、古代ローマの時代から
歴史とともに深まった意味を含め
私なりに感じていることがあります。
死について追求するよりも、
生について深く考えたい
ということ。
メメント・モリは直接には死を強く感じさせる言葉です。
しかしその背景には
死から目を背けないからこそ、
ということ。
メメント・モリは直接には死を強く感じさせる言葉です。
しかしその背景には
死から目を背けないからこそ、
生きることの素晴らしさを実感できるという
とても大切なメッセージが
隠れているように感じるのです。
どうしようもなく憂鬱になってしまったり
無気力な日々が続いているのなら
メメント・モリを思い出してください。
桜の花びらも、
いちばんはじめに落ちる花びらがあれば
最後まで枝と離れない花びらもあります。
誰もそれを選ぶことができません、
枝に咲いているあいだに
生きることを実感できたら素敵だなと思います。
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